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山形のバレー少年が運命に導かれ…東亜学園・佐藤俊博監督「巡り合わせが招いた現在地」

東亜学園高等学校男子バレーボール部

監督:

佐藤俊博(さとう・としひろ)さん

同校同部出身。高校卒業後は東海大学へ進学。在学中に、東亜学園男子バレーボール部コーチを依頼されて指導者の道へ。卒業後、同校の体育教師及び同部のコーチに正式就任し、故小磯靖紀監督と共に全国大会優勝を4回経験。2014年から現職。

ひと目でわかる! チームの特色

  • 優勝8回の実績を持つ全国大会常連校
  • 目指すは「感謝の気持ちが湧くバレーボール」
  • 勝利を目標に“人作り”に重きを置いた指導

東京から遠く離れた山形の地で、バレーボール好きの少年がブラウン管を通して何気なく見た春高バレー。そこに映っていたのは、東京代表・東亜学園の敗戦した姿でした。

全国制覇8回を誇る強豪、東亜学園高等学校男子バレーボール部。監督の佐藤俊博さんは、「不思議な巡り合わせで今の自分がいる」と言います。東亜学園との出会いと部への思い、そして今年度のキャプテンとの忘れられないエピソードなどを佐藤さんに取材しました。

2人の恩師の死が、私と東亜学園をより濃いものに

ー同校ご出身とのことですが、当時山形県在住だった佐藤さんがなぜ東亜学園に入学されたのか。バレーや東亜学園との出会いから教えてください。

バレーを始めたのは、小学1年生の頃でした。3つ上の姉がスポーツ少年団のバレーチームに入っていて、そこに混ぜてもらったのがきっかけです。マンモス校だったので入団は4年生以上というきまりがありましたが、試しに打ったサーブを評価してくれて、特別に1年生から入ることができました。

幼心に覚えているのは、指導が厳しかったこと。もっとのびのびと楽しくバレーをやりたいなと、ちょっと不満を抱えるようになりました。

東亜学園を知ったのは、この不満がピークだった時のことです。ある日、練習が急遽なくなったんです。指導は嫌でしたがバレーや練習自体は好きだったので、不貞腐れながら帰宅しテレビをつけたら春高バレーが放送されていました。

京都の花園高校vs東亜学園の決勝戦でした。確か、東亜学園がボロ負けしたんですよ。でも、試合はどっちが勝っているのかわからないくらい、東亜学園がすごく明るくプレーしていたんです。それを見た私は感銘を受け、同居していた祖父に「俺、ここでバレーやるわ」と宣言した記憶があります。その時点では、まさか東京の学校だとは知りませんでした(笑)。

ーそこからおひとりで上京し、東亜学園に入学。卒業後は東海大学でバレーを続けられました。この時、東亜学園との接点はどうだったのでしょうか。

大学2年の時に大きな出来事があり、その時点で、東亜学園の教員及び男子バレー部のコーチをすることが決まったのです。これはもう、抗うことのできない運命だと思いました。

大学に入ってからもリーグ戦や試合が終わるたびに、当時の監督、馬橋洋治先生のもとへ報告を兼ねて顔を出していました。馬橋先生はお体が少し弱く入院することもあり、病院へお見舞いにも行っていたんです。

そして大学2年の時、馬橋先生のお見舞いに行ってリーグ戦が終わったことの報告をしたら、話があると言われて。「お前、東亜に戻ってこい。俺の跡を継いでくれ」とおっしゃったんです。あまりにも突然だったので、何も返事ができなかったのですが、その1週間後、先生はお亡くなりになったのです。

お通夜も、なぜか私は大勢のOBに囲まれながら親族席に座っていました。その後、先生の奥様、そして理事長からも、改めて部のコーチになるよう要望されて腹を括ったんです。私の現役生活は、大学で幕を閉じるのだなと。

まだ大学2年だったので漠然とでしたが、社会人リーグに挑戦したい気持ちがなかったといえば嘘になります。でも、東亜学園へのご恩も大きかったので、4年からアルバイトでコーチを始めて、卒業後に体育教師として正式採用となりました。

なぜ私だったのかは、馬橋先生亡き今、知る由もありません。でも、周りから聞いたのは、情熱を持って東亜学園を愛しているかという条件のもと候補者が複数いて、そのうちのひとりが私だったということです。

あとは、私が教員の資格を持っていたこと、そしてタイミングというか縁が大きかったと思います。新しく監督に来られた小磯靖紀先生とともに、アルバイトを含めて13年間コーチをやらせていただきました。

ーそして2014年、監督に就任されました。

ニュース等でご存知の方もいると思いますが、この時も予期せぬことが起きました。11月、春高バレー予選の試合があった日の夜です。小磯先生が急性心筋梗塞で急逝されたのです。私も、もちろん部員も、言葉にならないくらい悲しくてショックでした。

ずっとコーチをさせていただいていたので、いずれ監督になるのだろうなとは思っていましたが、こんなにも急にその時が訪れるとは思ってもみませんでした。

私たちの部は、馬橋先生時代と小磯先生時代のそれぞれ4回、計8回全国優勝を遂げています。その証として、馬橋先生を表現した馬のマークと、小磯先生のご健在時は優勝のたびに星のマークをユニフォームにつけていました。

馬のマークには、馬橋先生の功績や思いを継承するという意味合いも込めています。同じように小磯先生イズムも残したくて、先生自筆のサインをワッペンのようにしてもらい、今はユニフォームにつけています。これからも、お二人の気持ちをつなげていこうと思います。

ひとり1冊のノートから、見えてくるもの

ー運命に導かれて監督に。10年が経ちますが、指導をするうえで大事にしていることは何ですか。

「勝つ」ことを目標に定め、「勝ちたい!」という気持ちを常に意識させることです。
例えばお腹が空いた時に「食べたい!」と思う気持ち、その欲求が溢れた瞬間って、すごいパワーが発揮されると思いませんか。逆にお腹が満たされると、その気持ちは失せますよね。バレーに話を戻すと、その「勝ちたい!」と思う気持ちを大事にしてほしいのです。

ですからうちの部は、ひとり1冊ノートを用意して、1ページ目に入部してからの目標を書いてもらいます。その気持ちを忘れないために、すぐに見返すことができるように、最初のページに記すのです。

以降のページには、毎日の練習の振り返りと、次の日にやることを書きます。反省文だけだったらノートの意味がないんですよ。だったらその時間は風呂に入って寝た方が身のためです。反省をどう活かすかが重要で、明日はこうしよう、次こそもう1回やってみよう。作戦会議じゃないですが、目標に近づくための新たな方法を書き、実行することに意味があるのです。

ノートは毎朝提出し、コーチに手伝ってもらいながら授業の合間にチェックして練習後に返却しています。なるべくコメントを書くようにしていますが、書くだけだったら簡単なんです。容易じゃないのは、書いたことを練習で実行しているかどうかの確認です。

もしできていなかったら、「なんで自分で決めたことをやらないの?」と、奮起させるように言います。ノートの内容と行動がつながっていくと、人間は自ずと成長していくし、自信もつくのです。

文面から、ちょっとした心の揺らぎもわかります。プレッシャーから追い込まれていたり、悩んでいたりすると、文章がネガティブな表現になる。また、毎日同じ内容だと、気持ちが入っていないのかなと思います。SOSのサインがある程度見えますね。

おかしいなと思ったら、私のもとへすぐ呼びます。私の基本的な考え方は、まず相手の立場になってみること。そして自分がされたら嫌なこと、してほしいこと、それを考えてから接するようにしています。

ちょっとした異変を感じるのは、ノートの文面に限らずです。昨日までしていなかったサポーターやテーピングをしていたり、いつもよりジャンプが低めだったり。そんな時は「どうした?」と声をかけるようにしています。

ー大勢いる部員の少しの変化も見逃さないのは、すごいですね。

そういう些細な部分を見ることをお手本にしてもらえればと思うんです。バレーボールに、練習に、子どもたちの成長に、真剣に取り組んでいる私の姿を見せることで、自分たちももっと頑張らなきゃなという気持ちになってくれれば嬉しいです。

でもそれは、私がこれだけやっているんだから君たちもやれよ、という意味ではありません。私のやっていることは普通で、今の君たちはまだそこに辿り着いていない、と捉えてもらいたい。

私は大した人間ではないですが、人としていち教師として、指導者でありつつもいちアスリートとして、スポーツの世界における、子どもたちのスタンダードを上げていきたいのです。行動だけでなく言葉もそうです。最初は、私の言葉を真似てもいい。言い続ければそれは、自分の思いを込めた言葉になってくると伝えています。

部員たちは言うまでもなく実の子ではないですが、学校の中では自分の子のように思っています。ほとんどが中学の頃から東亜学園でバレーをしたいと志望してくれていた子たちなので、保護者の方々の思いも強いです。なので、そのお気持ちも汲んで親御さんには「3年間お預かりします」とお伝えしています。

先述した相手の立場になって考えるだけでなく、“この子の親だったらどうするか”、"この子のためには何が一番いいだろうか”と常に考えています。その子の性格も加味して、背中を押すべきか、止めるべきか、寄り添うべきか、時には鬼になるべきか。つど判断するようにしていますね。

今年度のチームは、迷走からスタート

ーどんなバレーボールを目指していますか。

究極なことを言えば、“感謝の気持ちが湧いてくるバレーボール”を目指しています。

感謝というのは、何かをやって楽しい、嬉しいという感情と同時に出てくると思うんです。そして、バレーボールをやっている中で、何が一番嬉しい、楽しいかと言ったら、それはやはり勝った時なんですよ。

だから、勝ちたいのです。そのためには何をすればいいのかを考えることにも楽しさを見出せる。トレーニングにしても、体に負荷をかけてもっと頑張ろうと前向きになれる。だから、楽しいことはとても大事で、そこからとどのつまり、ありがとうという感謝の気持ちが生まれる。そこを目指して、バレーボールをしたいと思います。

負けたら悔しいだけで、感謝はなかなか出てこないんですよ。だから、勝ちにこだわるのです。

技術的、戦略的なことで言うと、代によって大きく変わるので、正直なところこれといったスタイルは言えないです。ただ、今年度だったら、スマートというか、クレバーなバレーを目指しています。パワーが少し弱いので、ボクシングで言うと、1発KOはできません。確実にポイントを積み重ねて判定勝ちするような、ストレート勝ちはできないけれど、2対1でも勝てればいい、そんなチームスタイルですね。

それとは別に、今年度は迷走で始まったチームなんですよ(笑)。毎年、毎年、テレビ番組の『ノンフィクション』を上回るような、1冊の本が書けるくらいのドラマみたいなことが起きていますが、今年度もなかなかです。

迷走で始まり、迷走につながり、ようやく光が差し込んで、それを今こじ開けているという状況です。

ーぜひ、教えてください。

代替わりした時に、核となる選手を何人か呼んで、今後の抱負を聞きました。私の想定は、「来年こそ勝ちたい」と前向きな言葉が来ると思っていたのですが、出てきたのが「僕は不安で仕方がありません」「やっていけるか怖いです」「自信がありません」とかなりネガティブだったんです。

選手と距離の近いコーチが励ましましたが、今度はそこから空回りが始まりました。ニュートラルでふかしまくっているんですよ。それだと壊れちゃうじゃないですか。案の定、キャプテンが骨折しまして。長期離脱となり、新人戦に出られず試合はボロ負けです。チーム全体がどんどん弱気になってしまったんですね。

痺れを切らした下級生がノートにこのままではダメだと訴えてきたので、彼にキャプテン代行を任せることにしました。そこから少し歯車が回り出してきたなと思った矢先、今度はその彼が怪我したんですね…。

キャプテンと同じような怪我だったので、直感というか、このままではよくないと思い、ちょうど怪我が治ってきたキャプテンを復活させたんです。まだまだ自信がなくて不安なようでしたが、できるだけ寄り添うことを心がけました。

そこからすごく頑張ってくれましたが、次の試合には間に合わず敗戦。キャプテンはこの世の終わりぐらいに号泣して情緒不安定になり、ある時、家を出てしまったんですよ。親御さんと一緒に探しまくって、なんとか見つけることができました。

キャプテンとして不甲斐なく自分を追い詰めてしまったのはわかる。今は苦しいだろうけれど、足掻いてれば絶対に破れる時が来るから。絶対に活きてくる時が来るからと言い聞かせて、そのうえで「それでも親に心配をかけてはいけない」と諭しました。その辺りからですね、ようやく吹っ切れたみたいで、今、チームはうまく回りつつあります。

彼は、他にもいくつかやっていて、自信がないようでやんちゃな部分もある。「手がかかる子ほどかわいい」とはこのことです(笑)。

ーこの経験が糧となり、キャプテンは大きく成長したと思います。最後に、こちらの部で学べること、得られることは何でしょうか。

まず「真剣に生きる」「全力で取り組む」ことができます。

そして、全力で真剣に取り組んだ先には勝利があり、嬉しさと感謝が湧き上がる。そこから、生まれるのは恩返しです。いろいろなことをしてくれた方々のために、何かをしてあげたいという気持ちです。

部活は教育の一環ですから、技術やフィジカルも大事ですが、やはり“人作り”に重きを置いています。3年間を目一杯バレーボールに費やして、人とのつながりや縁を大事にできるような人間になってほしいですし、我が部はそのような人間的成長をすることができると思います。

大学2年生の時に突如、東亜学園の教員とコーチを打診された佐藤さん。教員免許取得のための単位は取っていましたが教員志望ではなかったため、改めて学ぼうと決意。教授に頼み込み、授業を受け直したそうです。やると決めたからには、魂を込めてとことんやる。2人の恩師の考えを受け継いだ佐藤さんのイズムもまた、部員の方々に引き継がれていくことでしょう。「全力で真剣に生きる」。ラクすることを覚えた私たち大人も、改めて肝に銘じなければいけない言葉だと思いました。貴重なお話をありがとうございました。


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