一橋大学ア式蹴球部
監督:
木室孝輔(きむろ・こうすけ)さん
1997年11月1日生まれ、大阪府東大阪市出身。小学から中学までは水泳をしており、高校でもバンド活動に熱を注ぐ。サッカーの競技経験はゼロながら、中学時代に見たプレミアリーグの試合で指導者を志す。大阪府立摂津高等学校サッカー部→大阪市立東高等学校サッカー部→FC淡路島HC→東京外国語大学サッカー部の監督を経て、2022年より一橋大学ア式蹴球部のHCに就任。2023年からは監督を務める。JFA(日本サッカー協会)公認B級ライセンスとFA(イングランドサッカー協会)License Level 1を保持。
ひと目でわかる! チームの特色
- 全面人工芝のグラウンドで週6の練習が可能
- 選手に加えフロントスタッフも在籍し、地域活動にも積極的
- 進学校出身者に加え、選手権出場の強豪校OBも在籍
東京大学や京都大学と肩を並べ、日本を代表する国立大学のひとつとして数えられる一橋大学。サッカー部は東大と早稲田大と同じく"ア式蹴球部”の名を持ち、東京・神奈川大学サッカー1部リーグを戦っております。この組織を率いるのが木室孝輔(きむろ・こうすけ)監督。26歳の若さもさることながら、目がいくのは "競技経験ゼロ”という経歴。他になかなか類を見ないキャリアを持つ彼が、この組織に導かれるまでのストーリーとは。
中学時代に見たプレミアリーグが変えた人生
–木室さんはサッカー未経験の監督ということで、かなり異質ですよね。もともとスポーツはやっていたんですか?
幼稚園から中学3年生まで水泳をやってました。けっこう本気で取り組んでいたのですが、高校ではスポーツをやらず、バンド活動をしていました。そして、大学に入ってからサッカー指導者です。サッカー経験は全くありません。
–指導者にたどり着いた道もそうですが、目指そうと思った契機は。
中学1年生のときにNHKのBSでイングランド・プレミアリーグの試合をたまたま見たのですが、そこで衝撃を受けたんです。「普段見ているサッカーと全然ちゃうぞ」と。それこそたまに見るJリーグや日本代表の親善試合とはぜんぜん違って、衝撃を受けたんです。いま思えば親善試合と公式戦で強度も違うのは当たり前なのですが、その試合を見て「この舞台に立ちたい」と漠然と思いました。同時に「いまから選手は無理やな。でも監督なら行けるかもしれない」と考えたんです。
–中学1年生でそう思えるのはすごいですね。そこから指導者の勉強を始めたと。
サッカーを見まくって、戦術に関する本を読みまくって、大体の知識を詰め込みました。いわゆる頭でっかちの状態にはした感じです。それが高校生で、大学生になったら現場に立とうと決心したんです。ただ、僕の進学した同志社大のサッカー部は強豪でもあったし、ここでサッカー経験のない指導者が現場に立つのは難しいなと。なので、まず国内のC級ライセンスを取りに行って、その後にイングランドのFAライセンスを渡英して取りに行って、ある程度規模の大きいサッカー部がある高校に売り込みに行きました。そこで交通費だけをもらえる外部コーチの役職をいただいたんです。
–イギリスまで行ったのはすごい行動力ですね。
5週間滞在して、実技指導を含めた全8回ぐらいの講座を受ければ比較的簡単にとれます(笑)。全く英語が喋れなくても、最低限の単語力さえあれば大丈夫ですね。大学受験が終わって1年経っておらず英語力もまだあったので、意外といけました。
–ちなみにサッカー指導者を目指すのであれば専門学校に行くとか、サッカーが強くない大学に入ってそこの部活で指導者としてキャリアを積む選択肢もあったのかなと。
後者の考えは全くなかったですね。前者を取ることはもともと考えていませんでした。単純に指導者として花が咲かなかったときに潰しが効かなそうだな、と。なので、ある程度の大学には行きたいと思っていたんです。また、地元が好きだったので、関東に出るのは大学を卒業してからで良いという考えもありました。その結果、同志社を選んだ形です。
–国内でC級ライセンスを取りに行ったとのことですが、年齢はだいぶ下ですよね。
18歳から19歳の間くらいで取ったのですが、当時はその講習会での最年少でしたね。
–2つのライセンスがあれば説得力もありますね。
イングランドでライセンスを取っていることで少し箔がついて、売り込む時に役立ちました。実際に指導を始めてからも、選手は僕の指示に耳を傾けてくれましたね。
元Jリーガーを指導した社会人チーム時代
–高校ではどういったことを指導していたのですか?
オフザボールの動きとか、配置の部分ですね。当時は受け方とかいくつか選択肢も見せるような持ち方を教えこんでいる公立のチームも少なかったので、選手は「こいつ、ちゃんとしてるな」と思ってくれたのか(笑)、しっかり受け入れてくれました。"机上の空論” を現場に落とし込むことにトライした形ですね。ただ、対人のスキルやしんどいときにもう1つランニングを増やしたり、ゴール前に入ったり、という部分は落とし込めてなかったですね。頭でっかちなチームになってしまいました。
–その後もいくつかチームを転々としますね。
大学2年生の途中で自分の母校である大阪市立東高校に戻って指導をして、4年生の途中にFC淡路島という社会人チームに入ることになったんです。現在のFC.AWJです。当時は兵庫県の2部リーグに所属していて、コーチの役職をいただきました。そこでは週2回の練習を自分がメニューを組んでやらせてもらったんです。
大学4年生でサッカー未経験の僕が、サッカーのキャリアもある社会人の先輩たちに偉そうに指示をしてた、と。チームには同じ同志社の先輩で高校サッカー選手権でも桐光学園のメンバーとして活躍した松井修平さんをはじめ、ジュビロ磐田やガンバ大阪のユースの方や元Jリーガーの方がいました。とても貴重な経験をさせてもらいましたね。
–年上の元Jリーガーに未経験の身で指導するのは、緊張感がすごそうですね。萎縮してしまいそうです。
良い緊張感はありましたね。ただ、最初に分析官として入団してある程度コミュニケーションを取っていたのが良かったなと。「こいつちゃんとサッカー勉強してんねや」とわかってもらえたのは大きかったです。チームのみなさんは本当にいい人で、自分の狙いをしっかり論理的に説明したら受け入れてくれる傾聴力もありましたし、しっかりと意見もぶつけてくれてディスカッションもできました。すごくやりやすかったですね。
–ちなみに当時の契約形態は?
ボランティアです。交通費も出ず。ただ、淡路島で毎回やっていたわけではなく、僕が担当する練習場所は大阪のJグリーン堺だったので、負担は少なかったです。
–就職活動はせずに大学を卒業して、そのまま指導者の道に進んだと。
そうですね。3年の途中から周りは就活の動きを始めていましたけど、「指導者で行く」と周りに言っていたこともあって、今さら変えられないなと。人生経験として就活をしておけばよかったとは思いますが。
–同志社に行ったのであれば良い企業にも行けるのかなと。周りにも驚かれたのではないでしょうか?
中学時代から周囲にサッカー監督でビッグになると言ってたので地元や高校の友達は特に何の驚きもなく受け入れている子が多かったです。大学の友人に関しては、入学当初からそのことは言っていたのですが、ほとんど信じてもらえないケースが多かったです。なので、特に仲が良かったグループ以外の子たちは、実際に監督としてのキャリアを積み上げていることに驚いてると思います。
–就活せず淡路島でコーチを続けたんですか?
東京の社会人チームがコーチを探してるとのことで、「チャンスだ」と思い上京したんです。東京の方がチーム数も多く、つながりも作れて自分のキャリアにプラスになるなと思ったので、飛び込みました。ただ、行った直後にコロナが直撃したんです。ほとんどそのチームに帯同することなく、アルバイトをしてました。結局、そのシーズンは指導者として何もできずに半年間ぐらいフリーターみたいな生活を送りました。
その期間を何とか乗り切り、緊急事態宣言も明けた秋ごろに東京外国語大の面談や指導実践を経て契約をしました。
-最初は東京外大だったんですね。
はい。東京外大で2年間指導をしました。そのときはまだアルバイトをしていましたが、2年目からは大学サッカー界のつながりや監督としてのマネジメント経験を活かして仕事を業務委託でもらうようになりました。その後、知り合いづてで一橋大学サッカー部を紹介してもらい、面接などを経て契約を結び、現在に至ります。
–一橋大のア式蹴球部はどういった組織ですか?
フロントスタッフも含めると100人ぐらいいて、ピッチ外では地域活動も大事にしています。地域の子どもたちはなかなかサッカーができる環境がない中、僕らがスクールを開き、運営する企画をフロントの子たちが主導しています。選手もその活動における役割を与えられて…という形です。ここについてはフロントのスタッフに任せています。
サッカー的な話をすると、レベルが高いと思いました。初めて見に来た人は驚くと思います。とくに僕達や東大の試合を見た人は「意外とやれるんだ」と多くの人が感じるのではないでしょうか。ベースの頭が良いので、"考えながら”サッカーをする子たちが多いですね。
–どういうサッカーを志向しているんですか?
スローガンとしてはドラマチックなフットボールというものを掲げています。
一橋の選手たちのマインド的にボールを保持したいという欲求は強くそこがベースにあります。そのベースにランニングやゴール前での身体の張ったプレーなどパッションが強く表れるようなフットボールを志向しています。
東京・神奈川1部はかなりレベルが高く、すべての相手がフィジカルもテクニックもレベルが上なので、ボールを保持する時間を長くして守備の時間を短くしないことにはジリ貧になるという現状もこのようなスタイルに着地した理由でもあります。前半からずっとオープンな展開が続くと勝ち目が薄くなるので。
また、僕が入る前から学生監督を務めてた子がボール保持を大事にしたサッカーをしていたことや、いまの4年生は1年生のときに戸田和幸さん(サッカー解説者 元SC相模原監督)に教わっており、彼らは愚直に努力を積み上げられる子たちなので、これらのコンセプトはその両方をうまく活かせているつもりです。
–木室さんはプレミアリーグを見て指導者を目指していますが、一橋は所属している選手がプロを目指すわけではない組織だと思います。その中で監督をやるモチベーションはどこにありますか?
中長期で考えるとJリーグのクラブの監督は目指している舞台ではあって、その前にクラブのアシスタントコーチになるために筑波や早稲田などの大学院へ行ってルートを確保する方法もあると思います。ですが、監督の能力は監督をやらないと身につかない。仮にプロを目指してる集団じゃなかったとしても、監督という立場で組織を動かす経験をしたかったんです。だから、レベルは関係なく監督という立場に立つことに意味があると思っていますし、この一橋でその経験ができているのは、自分にとってすごく大きいです。
–この組織に来てほしい人材について、教えて下さい。
今年のチームには昌平高校とか流通経済大学付属柏高校、東急Sレイエスユース出身の選手もいるんです。そういった、選手権に出たりサッカーをしっかり学べるクラブチーム出身の選手と、進学校のサッカー部出身者がともにプレーできる機会は少ないと思っています。東京都リーグも組織がしっかりしているので運営の不備も少ないですし、ストレスなく年間22試合のリーグ戦を戦えます。プロにならないにしても、自分の競技レベルやチームのレベルを追求していくと考えたときには、やりがいがある環境だと思います。
とはいえ、戦力的には限られたリソースでもあり “この中でどうすれば強くなるのか” と日々考えなければいけない場所でもあります。個人としてサッカーが上手くなることはもちろん、持続可能な組織になるためにやるべきことを考える4年間は、その後の人生にも役立つと思います。ここで努力した経験や挫折した経験は糧になると思うので、「もうちょっとサッカーやりたいな」と思う子にはとても良い環境だと思います。全面人工芝のグラウンドで週6で練習できますから。
土のグラウンドでしかプレーしたことない公立高校の選手は、逆に人工芝になると余裕が生まれることもあります。そこで技術も高まる。まだまだうまくなれますし、成長している選手もたくさんいます。
全国の進学校でサッカーをしていた子たちが私達の組織には多いのですが、今その場所でプレーしている子たちには「大学でサッカーを辞めないで、大学でより上を目指そう」と言いたいですね。無名の公立高校でやっていて、大学で何をしようか考えている選手には、ぜひ選択肢の1つとして入れてもらいたいと思っています。遊び倒す大学生活もいい経験だと思います。でも、自主性の重んじられる組織で本気で毎週末の試合に臨む経験も大学サッカーならではだと思うので人間的な成長もできる組織だと思います。
–ありがとうございます。最後に目標を教えてください。
指導者としては基本的に1年ごとの契約なので、この1シーズンをやりきりたいです。今は結果がなかなかついてきてないですけど、形になってきているものもあります。それを最後、結果につなげて1部に残留させたいですし、4年生に後悔を残させたくないです。また、1年生にもできるだけ今の高いレベルの舞台を経験させてあげたいですし、その経験を次の世代に伝えていってもらって、この舞台にい続けられるチームを作りたいですね。
チームが気になったら… 一橋大学ア式蹴球部 チーム詳細をみる▶︎ |