ブルースカイジュニア
代表兼監督:
佐藤吉則(さとう・よしのり)さん
新潟県出身。中学時代に卓球をはじめ、中学・高校は石川県で過ごす。同県内灘町のクラブチームで指導者としてのキャリアをスタートさせ、地元新潟に帰郷後、塾講師として働きながらブルースカイジュニアを立ち上げる。現在は独立し塾を経営しながらブルースカイジュニアの監督を務める。
ひと目でわかる! チームの特色
- 卓球をするために塾の先生に
- 卓球して不幸になる子を出さない
- 「長く卓球を続けたい」と思ってもらいたい
新発田ジュニア、つばめジュニア、Quest新潟クラブなど、新潟県内には全国大会で活躍する卓球クラブチームが数多く存在します。そんな新潟県で18年の歴史を持つクラブチームが「ブルースカイジュニア」です。
チームの代表を務める佐藤吉則さんは、ブルースカイジュニアとは別に学習塾を経営しながら、空いている時間で子どもたちに卓球を指導しています。
佐藤さんに、チーム創設時のことについて話を聞きました。
地域の卓球教室からクラブチーム設立
―佐藤さんは、いつから指導者として活動されているのでしょうか?
僕は中学高校と石川県で卓球をやっていたんですけど、下手くそすぎて…。
ある日、「お前は選手には向いてない。でも、伝え方や教え方は上手いから指導の方が向いているんじゃない?」と言われたんです(笑)。
―中学生、高校生にとっては、けっこうショッキングな内容ですね…。
はい(笑)。
ただ、その一言がきっかけで指導者になろうと決意して、そこから石川県内灘町のジュニアチームを手伝うようになったのが、指導者キャリアのスタートですね。
―ブルースカイジュニアはいつごろ立ち上げられましたか?
チームができたのは2005年の11月です。
その時期、僕自身は内灘町のチームで3年ぐらい見習いという形でコーチをしていました。
ただ、実家の母が病気になったので地元の新潟に帰って、本業で塾の先生をしながら、今度は地元のクラブチームや中学校のコーチになったんです。
すると当時の大潟町(現新潟県上越市大潟区)の体育協会が期間限定で初心者向けの卓球教室をやるということで、「卓球教室を担当してないか?」と声をかけていただきました。
教室が終了となっても、「せっかくやっているんだから、週1回でもいいから続けてやりませんか?」と当時の生徒さんに提案したら、「やります」と言った子が4人いたので、その4人で始めたのがブルースカイジュニアです。
卓球をするために塾の先生に
―本業が塾の先生ということですが、塾の先生になろうと思ったきっかけを教えてください。
人が成長していく過程を間近で見ることができて、人生の節目に関わることができる魅力があるということと、午後からの仕事だからです。
15時ぐらいになると生徒が来はじめるので、「午前中に卓球めっちゃできるじゃん!」って思って(笑)。
―卓球中心の選択だったんですね。
はい。でも今思えば「平日の夜空いてる方が絶対いいよね」と思いますけど(笑)。
ただ、新潟に帰ってきてから塾に17年勤めた後、独立して自分の塾を立ち上げて今やっているんですが、その塾があるのはやっぱり卓球のおかげだなとすごく思いますね。
―卓球のおかげというのは、チームの生徒さんが塾にも来てくれるということでしょうか?
それもあるんですけど、おそらく卓球を中心に考えていなかったら、そもそも塾の先生になっていなかったと思うんですよね。
塾と卓球チームだと「何を教えるか」は違いますけど、「人を指導する」ということでは共通点もあるので、そういう意味ではいい経験をさせてもらってるなと思っています。
指導者は生徒や選手がいてくれるおかげで、受験や卓球に関わることができるので、生徒や選手達、そして通わせてくれている保護者の皆さんには感謝しかないです。
指導方針は「卓球して不幸になる子を出さない」
―ブルースカイジュニアは小中学生が中心ですか?
年齢はバラバラですね。下は年中から、上は高校3年生までいるので。
練習も全員一緒にやります。
―チームの指導方針はあるのでしょうか?
「卓球して不幸になる子を出さない」ということは1番に考えています。
卓球が強くなると、どうしても選手も親も天狗になることがあると思うんです。
けど、そうなるとその子は周りから応援されないし、その子の人生にもプラスにはならないと思っています。
なので、「挨拶をちゃんとしよう」とか「整理整頓をちゃんとしよう」とか、そういう「人間的に成長する」ことをチームとしては大事にしていますね。
―指導するとき、特に意識していることはありますか?
今の子どもたちって、家庭や学校であまり叱られていないんですよね。
だから叱られることへの免疫がない子が多くて、内容がどうであれ「怒鳴られた」ことに意識がいって、必要以上に落ち込んだりしてしまうんです。
なので「ダメなものはダメ」と注意はするんですけど、子どもと同じ目線に立って伝えられるように言い方は工夫しています。
―確かに、言い方ひとつで捉え方は変わりますよね。
あとは、例えば県大会が終わって部活を引退した後って、「勝たないとダメ」というプレッシャーから解放されて、卓球自体がすごく楽しくなる時期だと思うんです。
なので、「地区大会とか県大会が終わったら卓球は終了」ではなく、ちょっとでも「長く卓球を続けたい」と思ってもらいたいとは、常日頃から思っていますね。
―長く卓球を続けてもらうために、例えばどういったことを意識していますか?
中学生と高校生の会費を安くしていて、月に2,500円で「来たい時にいつ来てもいいよ」という感じでやっています。
ユニフォームの購入も強制じゃないので、クラブチームとしてはかなり自由にやっています。
愛娘がいじめを乗り越えて北信越チャンピオンに
―ブルースカイジュニアを20年弱運営されてますが、楽しかったことや辛かったことなど、思い出に残っている瞬間もお伺いできますか?
辛かったことで言えば、選手の引き抜きにあったことですね。
指導者に直接言ってくれるならまだいいんですけど、選手にだけ話を通して、その子がある日突然何も言わずに辞めちゃうみたいなこともあったんですよね。
―佐藤さんからすれば、「え?」って言う感じですよね…。
はい。あと、実は同じ時期に小学生だったうちの娘がいじめを受けて不登校になりました。
娘も卓球をやっていたんですけど、それなりに強かったので部内でやっかまれて、いじめられてたみたいで。
そのときはクラブの選手が6人ぐらいまで減って、かつ娘も不登校になってしまって精神的に余裕がなくなって、「これ、チームを続けていけるのか?」って思っていました。
―その状況は、どのようにして乗り越えられたのでしょうか?
クラブを解散しようかと、ちらっと思いましたが、在籍してくれている生徒もいるし、娘は不登校で卓球しかコミュニティが残っていなかったので、続けようと。
そうして新潟にあるクラブチーム「白根アトム」の梅津さんという方に、当時のクラブの事情を話して「1から指導を教えてほしい」という形で相談しに行ったんです。
そうしたら、「とりあえず練習に来い」と言ってくださって、指導者として自分に足りなかったことや、娘を含めどう子どもたちと向き合っていくべきかを教えていただきました。
そこから10年ぐらいお付き合いさせていただいています。今のチームがあるのは本当に梅津さんのおかげですね。
―逆に、嬉しかった瞬間はありますか?
嬉しかったのは、娘が中学3年生のときに北信越大会で優勝したことですね。
実はそのとき、妻が大会の3日前に入院してしまって、娘の試合に帯同することができなかったんです。
偶然にもそのときの開催地が以前いた石川県で、僕や娘のことも知ってくれてる人が大勢いたので、遊学館のOBや、僕の内灘町時代の教え子たちが娘の練習相手になってくれたんですよ。
―卓球で繋がった縁による素敵なお話ですね。
ええ。
試合当日は僕も妻も娘の状況がわからないので、会場に行ってもらった人に「次〇〇さんと試合だよ」などLINEで実況してもらっていました。
まさか僕らも娘がそこまで勝ち上がると思っていなかったので、驚きながらLINEを見ていたら「あと4点でチャンピオンだよ」とメッセージが届きました(笑)。
最終的に優勝できたので、そのときは嬉しかったですね。
また、最近ですと、上越総合技術高等学校2年(当時)の蟹田凌が全国高校選抜卓球大会男子シングルス2部に出場したので、帯同させてもらったのも嬉しい経験でした。
教え子に全国へ連れていってもらえたのは、指導者冥利に尽きる嬉しい経験でした。
―最後に、今後のチームとしての展望をお聞かせください。
個人的に、卓球を通じていろんな人と出会うのはすごく大事なことだと思っています。
卓球って「言葉」みたいなものだと思っていて、知らない人同士でもお互いに卓球をやっていれば、難しいことは考えずに共通の話題で話ができるじゃないですか。
そういう経験は、絶対に人生が豊かになりますし、自分の世界を広げることにも繋がると思うんです。
特に僕らの地域は田舎で、どうしてもコミュニティは限られてしまいます。
なので、このブルースカイジュニアというチームを通して、生徒たちにいろいろな世界を見せてあげたいと思っています。
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