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「ゼロも同然の状態」から全国常連チームを育てるには? 鳥取中央育英高校男子バレーボール部の足跡

鳥取中央育英高校男子バレーボール部

監督:

桑名圭司(くわな・けいじ)さん

鳥取県出身。高校よりバレーボールを始め、鳥取県立倉吉西高校、鹿屋体育大学を経て、母校の倉吉西高校からバレーボールの指導者の道へ。2012年、鳥取緑風高校バレーボール部をインターハイ(全国高等学校定時制通信制体育大会)に出場できるまで育て上げる。2013年より鳥取県立鳥取中央育英高校に赴任。男子バレーボール部を強化し、全国高校総体や春高バレー等の全国大会に7年連続出場。地元の海岸でのビーチバレー活動や、地域おこしなどにも力を入れる。

ひと目でわかる! チームの特色

  • 自主性を重んじる仕組みづくり
  • 学校をあげての運動部へのサポート
  • 監督が熱心に選手をリクルート

全国で通用するチームを育てるにはどうしたらいいか? こんな問いに答えられるチームが鳥取県にもあります。鳥取県立鳥取中央育英高校男子バレーボール部。「春の高校バレー」鳥取県予選において、7連覇中の強豪です。彼らはなぜ強くなったのか。その始まりはいつだったのか。そこには、指導者のある「熱い思い」と試行錯誤が隠されていました。

「バレーボール不毛の地」での挑戦

―バレーボールの指導者になった経緯を教えてください。

もともとは鳥取県の倉吉西高校、鹿児島県の鹿屋体育大学でバレーボール選手をしていて、大学卒業後に指導者を志しました。キャリアの駆け出しは母校の倉吉西高校でバレーボール部の顧問から。その後に赴任した、定時制と通信制の2つの課程からなる鳥取緑風高校で転機が訪れました。そこで生徒を指導した経験が今に生きているように思います。

バレーボール部をつくって、素人同然の生徒たちを誘って一緒にバレーボールに日々明け暮れました。必死に取り組んだ結果、創部2年目で定時制高校が集まる「全国定通総体(全国高等学校定時制通信制体育大会)」に出場して、全国ベスト8まで進むことができました。僕のバレーボールの指導者としての原点はここにあったのかもしれません。

―今、監督をされている鳥取中央育英高校にはいつごろ来られたのでしょうか?

2013年でした。当時は鳥取県の高校バレー界は元日本代表の山本隆弘さんを輩出した、鳥取県東部の鳥取商業高校や県西部の高校が強かったんですよね。そのせいか、県中部は「バレーボール不毛の地」と揶揄されていたように思います。

ただ、鳥取中央育英高校(以下、育英)には当時も全国大会に出場するようなチームになる条件が2つほど揃っていたように思います。1つ目は全国常連の水球部や陸上部といった部活を育て上げた熱心な先生たちが揃っていたこと。2つ目が育英の課程に普通科とは異なる体育コースがあったり、遠方から通う運動部の生徒のための寮がすでに用意されていたことです。

指導熱心な先輩指導者からの「喝!」が効いた

―バレーボール部を強くするのに、育英のどんな環境が役立ったのでしょうか?

僕が2013年に育英に赴任して、男子バレーボール部の担当になったとき、部活の指導において他の先生が勇気づけてくれることが多かった気がします。当時の校長先生は横山尚登さんという方でした。

バレーボール部の成績が泣かず飛ばずで悩んでいた頃、横山先生から校長室に呼ばれました。「桑名先生は、バレーボール部を強くするためにやれることは全部やっているのか?」と喝を入れられまして。「今はやれることをやっていないな」と自省するに至りました。

そこからは過去の緑風高校で培った「生徒を集めて、一緒に汗をかくスタイル」に自ら原点回帰していきました。まずは、県内の有望な中学生のもとを訪ね歩き、育英に進学してもらえるように直接頼み込んでいきましたね。

「全国で通用するようなバレーボール部にしていきたい」「朝練など、通学や授業に支障が出る練習はしない」「高校卒業後の進路にもちゃんと責任を持つ」。とにかく足繁く通って、熱意を持って語りかけていました。

そのおかげか、中学県選抜のメンバー2人が入ってくれることになりました。1人はチームの主将でエースアタッカー。もう1人はこれまた主将でセッターです。まずは攻撃の要となるエースとセッターが揃いました。涙が出るほど、本当にうれしかったですね。

県選抜のメンバーは横のつながりが強いのか、彼らがもう2人を誘ってくれました。その2人も主将でした。こうして後に鳥取県制覇の中核となる「4人の主将」が揃うことになりました。

「4人の主将」と共に、県の頂点へ駆け上がる

―「4人の主将」を中心に、どこを重要視して指導されましたか?

今のチームにも通じることですが、とにかく生徒の自主性を大事にしていますね。その日の練習のメニューや試合の戦略づくりもすべて生徒に任せて、監督の自分は相談役やプロデューサー的な立ち位置を心がけています。

「4人の主将」も中学ではまとめ役だったので、彼らが1年生のころからとにかく日々の練習で引っ張ってもらっていましたね。彼らが2年生になって、県のなかでも上位進出が射程圏内に見えてきました。そのころの3年生に面倒見がよく責任感の強いヤツがいたんですよね。

2年生の「4人の主将」も、3年生の彼を「全国に連れていきたい」と一致団結していました。とにかくあの子たちは仲が良かったし、先輩を慕っていました。そうして、当時の県最強チームの鳥取商業高校と春高県予選で対戦することになりました。

試合はフルセットにもつれ込む熱戦で、一時は全国への切符が見えてくる展開でしたが、さすがは強豪チームでした。最後の最後に競り負けてしまって、4人とも「先輩を全国に連れていけなかった」とすごく悔しがって泣いていました。

もうあんな思いをしたくなかったんでしょうね。彼らが最上級生のチームになった、その年の春高バレー予選で鳥取商業を破って、全国への道が初めて開かれました。彼らを中心としたメンバーたちが自主性を持って日々取り組んだおかげで、ここから7年連続で春高バレー全国大会に出場できていると思います。

「なんでも全力でやる」を合言葉に

―最後にお聞きしたいのですが、育英が全国常連チームになって、これからはどんなことを大切にしていきたいですか?

シンプルではありますが、「なんでも全力でやる」が大切になってくるかなと思います。自分たちで必死に考えて毎日練習して、貪欲に成長を目指していく。もちろん大人はそれをサポートする立場でしかないと思いますが、生徒たちの自主性をちゃんと育むような仕組みづくりが大事だと思います。

2018年にチーム方針を当時のメンバーと一緒に決めたんですが、今も練習コートの脇にそれを置いて常に振り返ることができるようにしています。その方針とは「バレーを通して人間力を高め、幸せな人生を送る」。メンバーが具体的な行動に落とし込めるように、「意思表示の声・指示の声・活性化の声を出し自分が練習をつくる」みたいな考え方も箇条書きにしています。

やはり日々の生活を充実させるために、成長するためにバレーボールがあるのだと思います。バレーボールに打ち込むがあまりに、学校の授業で寝ているなんて言語道断ですよね。勉強もがんばるし、バレーボールもがんばる。どんなことも全力でやる人間力を育んで、日本一のチームを目指すというのは昔も今も変わらないです。

選手が練習をしている横で桑名監督にインタビューさせていただいたんですが、とにかく監督は選手の「いい兄貴分」でいる距離感が印象的でした。選手に常にオープンで、ときに厳しく、ときに優しく接している毎日が垣間見えるようでした。また、チームの行動指針を何か条にも分けて言語化しているのも選手の自主性を促すようにできているようにも感じました。「あれをやれ、これをやれ」では成長しないという共通前提がバレーボール部の隅々まで浸透している様子が伺えました。


鳥取中央育英高校男子バレーボール部
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